愛する地元でスポーツを通じた子どもたちの育成を目指す

特定非営利活動法人東北海道スポーツコミッション 

理事長 中島 仁実氏

エリア
北海道釧路市

今回は、2016年5月に設立された特定非営利活動法人東北海道スポーツコミッション(以下、東北海道SC)の理事長である中島仁実氏から、設立までの経緯やスポーツコミッションで働くやりがい、今後の展望などについてお聞きしました。

Q,コミッションの概要や特徴を教えてください。
東北海道SCは、2016年5月に特定非営利活動法人として設立されたスポーツコミッションです。主な活動として、特に釧路市で活動が盛んなアイスホッケーを中心とした国内外の合宿誘致活動や各種大会の運営といったスポーツツーリズム関連事業をはじめとして、坂の上会館という合宿施設の管理運営も行っています。2023年4月からはウインドヒルくしろスーパーアリーナ(旧:湿原の風アリーナ釧路)の指定管理も開始しました。また、スポーツ振興くじ助成を活用したフリーペーパーの制作・配布も実施していて、各学校に協力いただいてホームルームで先生から生徒に直接配布してもらっています。その他特徴的な事業としては、就労継続支援B型事業所(ヴィラあしはらの杜)の管理運営や放課後デイサービス事業といった福祉事業も実施しており、スポーツツーリズムだけでなく、幅広く活動を行っています。組織としては、理事会の下に事務局があって、それぞれの業務に応じてアリーナを管理する施設管理事業部、合宿所事業部や福祉サービス事業部などがあります。職員は2023年度にアリーナの指定管理が始まってかなり増えました。雇用形態は様々ですが、現在は30人を超える方に勤務してもらっています。
Q,現在の役職に就くまでの経歴と、コミッションで 就業する(コミッションを立ち上げる)ことになったきっかけを 教えてください。
釧路市で生まれて、物心ついた時からスポーツが大好きでした。釧路という土地柄、アイスホッケーを7歳から始めたんですが、中学生の頃から早稲田大学のユニフォームが着たいと思っていて、逆算して高校もアイスホッケーの強豪校を選びました。アイスホッケーのインターハイは3年生の1月にあるのでセンター試験は間に合わない。だからインターハイで優勝して推薦で大学に行こうと中学生の頃から考えていました。プラン通りに優勝できて、教員にもなりたかったので教育学部に入学しました。大学では4年間アイスホッケーに打ち込み、卒業後は古河電工アイスホッケー部に当時としては珍しいプロ契約で入りました。入って2年で廃部になってしまったので、日光アイスバックスへの移籍を経て、アイスホッケーの本場カナダで正式な指導者ライセンスを取りたかったことから、2001年に単身カナダに行きました。カナダではアイスホッケーを地元チームで教えながら生活していました。英語もたいしてわからないうえに金銭的にはかなり厳しく、地獄の数年でしたね。子どもたちにアイスホッケー教えるから、代わりに英語を教えてくれと(笑)。その後は貯めた資金でユニフォームの輸出会社をカナダで起業したり、日本でもコーチをしたりと日本とカナダを行ったり来たりする生活が続きましたね。そして2006年に今のコミッションに繋がる転機が来ます。1998年長野オリンピックのあと、日本アイスホッケー連盟が日本とカナダの高校生の国際交流試合の取組を始めました。数年は続いたのですが、2006年にその取組が終了することになったんです。カナダの高校生にとってもすごくいい経験になる取組だったので「中島、なんとかならないか。自腹でもいいから日本に行きたい」とカナダ側から言われ、じゃ私の地元・釧路に来ますかとなったんです。今でいうスポーツツーリズムの走りみたいなこと、ホテル・食事・リンクの予約などをコーディネートしました。ただ、当時の地元のスポーツ界におもてなしなんて言葉はなくて、試合途中に電気が消されるとか酷いこともいっぱいありました。おそらく私の知らないところで何か失礼なこともあったんでしょう、もう二度と釧路に来ないなんて言われて、なんとかなだめて、みたいな。こうなったらもう次は全部自分でやるしかないと思って、2008年はひとりで準備しながら行政も巻き込んで交流した結果、すごくいいものができました。2010年は阿寒湖への旅行などプログラムも増えて、さらにバージョンアップしました。そして2012年も実施することになるんですが、さらに良い取組にしたいと思い、高校の同級生に手伝ってくれないかと声をかけたんです。そうしたら、小学校の同級生やアイスホッケーコミュニティの昔の仲間など、いろいろな人に輪が広がって、交流試合は大成功に終わりました。その後の反省会で話している時に、次はもっとこうしたらいい、こういうことができるという意見が出てきて、とにかく続けていきたいよねとなりました。そして「これを仕事にできたら最高だよね」と。こういう仕事で飯が食えたら、まちも活性化するし、スポーツも活性化するし、自分たちも楽しい人生だよなと。じゃあみんなでやるか、となったのが東北海道SCのスタートです。ちなみに、その時最初に声を掛けた同級生が今の副理事長です。
Q,コミッションにおける役割を教えてください。
東北海道SCでは私は理事長という役職ですが、本当に理事や事務局のメンバーに助けられています。なので、特に私は団体のことを外に発信するということをしっかりとやろうと。「顔」とまで言えるかはわかりませんが、そういった役割だと思っています。
(同席の副理事長)中島はカリスマ性があるので、中島がやりたいこと、こういう方向性でいきたいと言ったことを私たちが上手く噛み砕いて、形にできるようにしていく。そういう存在ですね。
Q,コミッションで働く魅力ややりがいは何ですか。
一番大きなやりがいであり私がこの事業をしている目的は、子どもたちのスポーツ環境を守るということです。今スポーツをやっている子もそうだし、スポーツ嫌い、スポーツをしない子も含めて、地域の子どもたち全員を元気に健康にこの地域で育てていく。スポーツを教育や国際交流にも上手く活用することで、子どもたちを育てていきたい。私も子育てをしている世代ですし、そこが最大のモチベーションです。もちろん、法人の立ち上げ当初はスポーツツーリズムによる経済波及効果を目標にしていました。300人が来て3万円使ってくれたらいくら、みたいな。ただ、進めていくうちに合宿や大会誘致で釧路にどれだけ経済効果を与えられるかとなると、かなり限定的だろうと。なので次に求めたのは地域の課題解決です。当時の国の方針でスポーツ振興だけではなくスポーツによる地域創生だと。そのためにどんな事業をやるべきかと考えたのが少し前です。今行き着いたのは、地域課題の解決と言うけど、まちが良くなるというのは結局ここに住む子どもたちの未来の可能性が増えていくということだと。そういう事業に携われることがやりがいに繋がっています。
Q,コミッションで働く難しさは何ですか。
スポーツでお金を稼ぐなという地域の考え方です。例えば子どもたちのマラソン大会を企画します、参加費1,000円ですと言った途端、うちの子で金儲けするのか、という人が出てきます。地方にはそういう現実ってあるんですよ。スポーツに対価を支払うのは欧米では当たり前だけど、日本ではそうじゃない。そういう常識を覆していかなきゃいけないですね。
スポーツ=体育(無料)の考えを変え、スポーツに正当な対価を支払い、収益を生み、その収益で子供達のスポーツ環境を整え、スポーツを育て、子供達を育て、地域を元気にしていくことがまさにスポーツコミッションの使命だと考えています。
Q,今後取り組みたいことは何ですか。
10年先を見据えた時に、スポーツコミッションという組織は地域になくてはならない中枢機関になっていると思っています。地域の健康を守るとか、子どもたちの育成とかを考えると、官にも通じていて民にも通じているけど、行政とも企業とも違うスポーツコミッションの価値はものすごく高い。そういう組織になれるように頑張っていきたいですね。

今後スポーツコミッションに
関わりたい方に一言

“こんなにやりがいのある仕事はない”

スポーツコミッションは行政とも違うし、民間企業とも違う、まちを支えていく新たな地域の中核的組織に必ずなると思っています。コミッションで地域のために働けることは、地域を愛する人だったらこんなにやりがいのある仕事はないですよ。色々なデータをみても、国民の70%以上は定期的にスポーツをしていない。まだまだ開拓の余地があるこのマーケットに、スポーツや健康やまちづくりに興味がある人たち、知識のある人たちにもっと携わってほしい。自分たちの力でまちを元気にできる、健康にできる、それだけで十分価値がある仕事だと思っています。

プロフィール

特定非営利活動法人東北海道スポーツコミッション 

理事長 中島 仁実氏

1974年​ 北海道釧路市生まれ 7歳でアイスホッケーを始める
1993年 ​釧路江南高校3年時にインターハイ優勝
1993年​ 早稲田大学入学 アイスホッケー部入部
1997年​ 古河電工アイスホッケー部入部 プロ契約
1999年​ 日光アイスバックス入部 プロ契約
2001年​ 単身カナダ・バンクーバーに渡る
2006年 ​日本・カナダ アイスホッケー高校生交流試合事業を引き継ぐ
2012年​ コミッション創設メンバーが集まり、4回目の交流事業を実施
2016年​ 特定非営利活動法人東北海道スポーツコミッションを設立 理事長に就任